2022/10/13 20:44

今回は少し真面目にお話しします。

誰かが聞く、

『そのそば粉はどうだった?』

と聞かれたあなた、

大概の方々は

『普通のそば粉だった』と答えるでしょう、

幼少期を思い起こして下さい、よく勉強できる子とできない子がいるのはなぜか?

思うに探究心理解度と勉強法に差があるからでしょう。

質問を受けた方の能力次第では、そば粉の価値が下がり、聞いた方は理解値が高いないと無意味と言う事なのです、

似た話しで、

伝統を受け継ぐ蕎麦屋はつゆが辛く、猪口と徳利が別出しされます、意味はお分かりでしょうか、

徳利から猪口へつゆを半分入れ、手繰り上げた蕎麦を少しつけて食べる、それを繰り返すとつゆが薄まるので徳利から猪口へつゆを足す、辛く煮詰め、猪口と徳利が別なのは最後まで美味しさを保ちながら終える『意味』があります、

江戸から試行錯誤繰り返し蕎麦を最大限に楽しむ理に叶った『しきたり』なのです、これを知らない人はSNSで『塩っぱい薄いつゆが足りない』などと書き込む、ご覧の皆様はどう思いますか?

この様に、伝う情報は不確実性が高く、ご自分で体験し、『知る』探求しなければ真は見えないと言う事です、

そば粉はどう?の問いは無意味だと気づいていただけましたでしょうか。

美味しさを引き出すには技術と知恵が必要、

単にそば粉を買い、打ち、食べ、評価する

長年蕎麦に捧げてきた人生から言えるのは、

これでは素材のポテンシャルを引き出せないと言う事ははっきりしていると言う事、和食の鉄人道場六三郎氏も蕪の茎をムシャリと齧った時、見えない所に美味しさは隠れているなと、80過ぎでも新しい発見に自ら感心していました、

大豆の御汁から豆腐とおからが取れ、双方美味しく食す為の知恵と探求から生み出された、

玄挽きそば粉も、打ち終わりから冷蔵庫で二晩寝かすと驚くほど香りが増す、

表面的でなく、概念を外し、五感を澄まし行動する、余すところなく試した者だけが隠れた旨さに気づきより多くの幸福を手にできるのです。

これが無意味の意味です。

少し思いが入り込み生意気ですみません。^_^